20220529-肉じゃが、オケ、紀伊國屋
土曜の夜も夜更かしがちだが、土曜夜にしては早めに寝た。今朝は9時半にようよう起きる。
マグでティーバッグを淹れ、牛乳を注ぐ。タカキベーカリーのくるみとレーズンのブレッドを焼いてバターを塗る。ミルクティーと共に食べる。ちょっと焼きすぎた。固い。
肉じゃがを作る。毎度のことながら鍋いっぱいになってしまう。アクをとりながらぎうぎうと押し込むものの、じゃがいもの頭は潜ってくれない。諦めてそのまま煮込む。
肉じゃがを煮込みながら身支度をする。火を止めて蓋をして出かける。帰宅する頃には味が染みていることを祈る。
午後はオーケストラの練習に参加する。指導するのも同じオーケストラのメンバーだが、ものすごくしっかりしている。とてももっともなことを言うので、全面的に従いますの気持ちになる。圧倒的な何かを前にして服従のために膝を折る感覚は、嫌いではない。
彼を好ましいと思う。腕を振るたびにくぼむ肘の内側や、手の甲を這う血管や、力んで盛り上がる前腕の筋肉を眺める。美しいものが好ましいのではない、好ましいものが美しく見えるのだ───と、常々思っている。
オーケストラのメンバーたちとともに駅まで歩く。一緒に歩いていても、出身オーケストラごとにかたまりができてしまうので、少し残念だと思う。
帰宅途中、新宿三丁目の紀伊國屋に寄る。『星の王子さま』をどうしても手元に置きたくなったから。集英社-池澤夏樹訳は、装丁を含めて気に入っているから、どうしても現物を見てから買いたかった。紀伊國屋にあったのは2021年の28刷だった。いつごろからか、帯部分が黄色ではなく金色に変わってしまった。黄色のほうが落ち着いていてよかったのに、とは思うけれど、今更黄色で刷ってはくれないだろうから、妥協する。
『星の王子さま』は、人と人との結びつきについての話だと思っている。だから、「小さな男の子だった時のレオン・ウォルトに」の献呈文に引きずられて、子ども向けの話だと思ってはいけないのだと思う。そもそも、『星の王子さま』は、一度も「飼い慣ら」されたことがない人にとっては意味がわからない話ではないか?一度でも「飼い慣ら」されたことがある、という子どもが、いったいどれほどいるだろう?
大きくなって、「飼い慣ら」されたことがある身になって、あらためて『星の王子さま』を開いたとき、言葉のひとつひとつに血肉がついたと思った。何度でも読まれることに耐えうる物語に特有の、「見え方が変わる」現象を、こんなにはっきり感じられることは多くない。
『星の王子さま』とは別に、山田五郎の『闇の西洋絵画史』後編<白の闇>を買う。前編<黒の闇>を読了していないので、少し罪悪感がある。五郎先生への投げ銭と思う。
重い本を抱えながらスーパーで買い物をして帰宅する。肉じゃがを温め直して食べる。少し塩気が足りなかった。食後にチョコレートケーキを食べた。